秋津野ガルテンの歴史
廃校活用は手段のひとつであり、あくまでも目的は地域の活性化を目指しています。
長年、地域づくりを続けてきた上秋津地域が使われなくなった小学校を地元で買い取り、都市と農村の交流施設として生まれ変わらせました。あくまでも住民主導の計画と運営でありますが、行政とはしっかりと連携をすすめながら、共に地域の活性化のために事業が行われています。
2020(令和2) | 木造校舎2階にコワーキングスペースを整備 |
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2019(平成31) | ICTグリーンオフィス(4オフィス)竣工 新宿泊棟(洋室-2人部屋)が6室竣工 |
2018(平成30) | バレンシア畑がガルテン内移転 フロント・管理室がガルテン内移転 日本経済新聞で廃校宿泊施設活用でNo1に選ばれる |
2017(平成29) | 経済産業省 地域未来牽引企業に選定される |
2016(平成28) | 中小企業庁 はばたく中小企業・小規模事業者300社に選定される 校舎側厨房を校舎の一番東に再整し移転 校舎側厨房食を交流室へと再整備 熊野早駈道を秋津野塾、長野地区と共に整備 |
2015(平成27) | 農林水産省 ディスカバー農山漁村の宝に選定される |
2010(平成22) | グリーンツーリズム大賞優秀賞 株式会社きてらと俺ん家ジュースクラブが経営統合し同時に増資を行う 『きてら』と共にスイーツ体験工房バレンシア畑をオープン |
2009(平成21) | 秋津野農家民泊の会を設立 第7回オーライ日本大賞を受賞 |
2008(平成20) | 秋津野ガルテンオープン(11月1日) 9月秋津野地域づくり学校がスタート |
2007(平成19) | 住民出資で農業法人株式会社秋津野を立ち上げ 秋津野ガルテン建設委員会が第2回目の11地域説明会 |
2006(平成18) | 一般社団法人上秋津愛郷会が田辺市より小学校を1億円で買取決議 4月上秋津小学校が新校舎へ移転 秋津野直売所『きてら』が法人化し農業法人株式会社きてらに |
2005(平成17) | 現上秋津小学校木造校舎活用委員会が活用方法を11地区で説明会開催 |
2004(平成16) | 俺ん家ジュース倶楽部が発足 現上秋津小学校木造校舎活用委員会が田辺市へ学校跡地の活用方法を提言 |
2003(平成15) | 現上秋津小学校木造校舎活用委員会が発足(秋津野塾・和歌山大学・有識者) マスタープランに基づいて直売所『きてら』が新築移転 |
2002(平成14) | 秋津野マスタープラン完成~地域活性化に小学校跡地利用もひとつのプランに |
2000(平成12) | 秋津野マスタープラン策定事業を3年間の予定でスタート |
1999(平成11) | 県内2か所目の農産物直売所『きてら』を住民出資で開設 |
1998(平成10) | 秋津野花まつりが始まる |
1997(平成9) | ホームページで秋津野の情報発信がスタート(秋津野マルチメディア班) |
1996(平成8) | 豊かな地域づくり表彰事業(農林水産省)で秋津野塾が天皇杯を受賞 農村集落排水事業(下水道)が全地区で利用可能に(平成2~8年) |
1995(平成7) | 高尾山で人文字ライトアップが始まる(上秋津を考える会) |
1994(平成6) | 地域にあるすべての組織を網羅した秋津野塾を結成し地域づくりを加速化 |
1993(平成5) | 上秋津農村環境改善センターが完成したことでより活発に組織が集い始める 上秋津を考える会主催の高尾山登山マラソン大会がはじまる。 |
1989(平成元) | 上秋津を考える会が発足~自分たちで出来ることは自分たちで地域づくりを |
1979(昭和54) | 全国的な早生温州の過剰生産から地域を上げて極早生温州への転換 |
1978(昭和53) | 全国で初めて早生温州ミカンを完熟化させた本格的な販売がはじまる |
1977(昭和52) | 晩柑同志会が発足し価格低迷の温州ミカンに代わる品種の発掘・栽培研究へ |
1976(昭和51) | 田辺市みどりの少年団が上秋津小学校の5~6年生で結成 |
1975(昭和50) | コメの生産調整のため梅(南高梅)栽培への転換が始まる |
1972(昭和47) | 全国的に増植が続けられてきた温州ミカンが大暴落。地域経済は沈む。 |
1965(昭和40) | 自動車運搬に対応するため農道整備が促進。 |
1964(昭和39) | 西牟婁郡牟婁町が田辺市に編入し、田辺市上秋津となる |
1957(昭和32) | 社団法人上秋津愛郷会が発足させ、地域資源・財産を活かした地域づくりへ |