ガルテンのご紹介
秋津野ガルテンの歴史
廃校活用は手段のひとつであり、あくまでも目的は地域の活性化を目指しています。
長年、地域づくりを続けてきた上秋津地域が使われなくなった小学校を地元で買い取り、都市と農村の交流施設として生まれ変わらせました。あくまでも住民主導の計画と運営でありますが、行政とはしっかりと連携をすすめながら、共に地域の活性化のために事業が行われています。
木造校舎は昭和の風景
地元のお母さんたちがつくるレストラン
農家レストラン「みかん畑」は、一流のシェフがつくるレストランではありません。地元の野菜や旬の山菜を使った食材を使い、地元のお母さんたちが料理をつくるスローフードのレストランです。お母さんたちは、地産の食材を知り尽くし、どなたでも楽しんでいただける、おもてなしの家庭料理のプロフェッショナルです。
子供が好きなカレーや揚げ物、大人の嗜好に合わせたお総菜や香の物、そして茶がゆをはじめとする郷土料理など、地元産のさまざまな食材を地元の調理方法で心を込めて料理しています。
「これはなんですか?」「どんな味?」という問いに気さくに答えてくれるお母さん方と接していると、レストランではありながらまるで田舎で農業を生業とする親戚に遊びに来たような、くつろいだ気分に浸れるでしょう。お昼には気軽に楽しんでいただけるよう、バイキングのランチを提供しているのがうれしいところ。約30種類のメニューから、その日の気分や食欲に合わせて思い思いの料理を皿に取り、みんなで楽しむことができます。みかん畑はスローフードと地産地消にこだわったレストランであり、秋津野ガルテンの目的や思いが詰まっています。
みんなでつくった地域、みんなつくった秋津野ガルテン
上秋津地区は、既に平安時代には集落が形成されていたと言われ、熊野古道の大辺路、中辺路ルートの分岐点田辺市にあり、右会津川を上ると日本3大美人の湯とされてる龍神温泉を経て、真言密教高野山に至る、南紀の海岸地域と紀伊半島の山村文化をつなぐ役割を持った農村文化圏として人々の交流を担ってきました。
しかし、明治22年の大水害により地域のほとんどが壊滅。その後数十年をかけて住民が力を合わせて復興し、その時の協調精神から1957年(昭和32年)には和歌山県で初めての社団法人「愛郷会(あいごうかい)」が発足します。愛郷会は昭和の合併で地域に残された財産を運用しながら、得られた収益は、地域全体の公益のためだけに使うものとして、教育の振興や住民福祉、環境保全等の活動に対して財政支援を行うなど、自主性を尊重するとともに住民同士が一つになった現在の村づくりの基礎を形成いたしました。
人の和はその後もさまざまな組織や運動へと広がり、生産農家と住民との交流イベントの実施や環境への取り組みなどがおこなわれました。また地元を支えてきた農業に関しても、多品目の周年収穫体制の確立や農道の整備や集落の排水事業など、地元のみんなが参画し、みんなで行う全員参加のまちづくりを行ってきたのです。
地域課題解決にソーシャルビジネス
ガルテンとはドイツ語で庭。ここ秋津野ガルテンは単なる観光や地域振興のみならず、地域住民も集える地域の庭としての役割も担っています。そして、そして、その運営にはソーシャルビジネスの考えで運営を行っています。