秋津野ガルテンの全景

秋津野の里

地域の概要

田辺市は、和歌山県のほぼ中央部に位置し、東部と北部は紀伊山地に囲まれ、西南部は四国を境にする紀押水道に面しており、南部は温泉で有名な白浜町と接している。また、市内の南北には会津川、芳養川が流れ、河口付近の平地に市街地が形成されている。
 気象条件は、年間平均気温16.5℃前後、降水量は1、650〜1,700ミリと温暖である。
 秋津野塾の活動地域である上秋津地区は、11集落からなる旧村で、広域合併後の田辺市において西部に位置し、地区の中心部を会津川が流れ、東部に高尾山(標高606m)を有する農村地帯である。近年、交通の利便性の向上と、市街地の拡大などにより人口が増加している。総世帯数は990戸で、うち農家戸数は303戸と30%を占め、専業農家125戸、1種兼業農家93戸、2種兼業農家85戸となっている。
 上秋津地区の総面積は1、297haで、耕地率は28.1%、農用地面積は364ha、一戸当たりの平均耕作面積は1・2ha程度であり、耕地面積の97%が樹園地である。
 農業形態は、ほとんどが果樹生産で、主に山の斜面には温州みかんをはじめ多種多様な柑橘類が栽培されており、平地の水田転作地には梅を主体に桃、すももなどの落葉果樹が栽培されている。古くから、みかんの銘柄産地として市場の評価も高く、全国的にみかん園の転換が進む中にあって、優良新品種を導入しながら、いまなお柑橘栽培を積極的に展開する果樹農業の活発な地区である。
 平成8年の天皇杯受賞以来、なぜ、全国から注目されるほどの「地域づくりの先進地」となったのか、その背景には、塾が結成される以前からあった「むらづくり」の気風と、昭和の大合併時に、当時の上秋津村にあった「共有財産」を管理運用する社団法人?愛郷会?を設立し、そこから得られた運用益で、行政だけに頼ることのない地域づくりの自主財源が確保されている。
 平成11年以降、住民出資・運営型のソーシャルビジネスの展開を図り、地域の直売所を目指す『きてら』が立ち上がり、その後地元柑橘を活用したジュースの加工・販売を行う『俺ん家ジュース倶楽部』、グリーンツーリズム事業で、都市と農村の交流を目指す『秋津野ガルテン』が誕生し、地域には自信や誇りが甦ってきた。

地域づくり=秋津野

 地域づくりと言えば秋津野。秋津野と言えば地域づくり。と、呼ばれるようになっている今日、全国から視察研修が絶えない。しかし地域づくりは一夜にして出来上がったものではなくその歴史は古い。 

 上秋津地区は、もとは上秋津村であった、昭和31年の旧村合併時に上秋津村の村有財産処分があり、議論の結果、「村有財産を将来の地域を支える子供達のために有効に使うべき」との提案がなされ、全住民の同意により昭和32年に、旧村有財産の運用、公共のための有効活用を図ることを目的とした「社団法人上秋津愛郷会」が発足した。上秋津愛郷会では、教育の振興、住民福祉、環境保全等の活動に対し助成を行うことを事業内容としており、地域づくりに関するさまざまな活動に対し、上秋津愛郷会が財政的支援をし、旧村合併以降の地区の自主性を尊重し、住民が一つになった現在のむらづくりの基礎を形成した。
  1.  昭和30年代後半より、温州みかんの需要が高まり、昭和36年農業基本法の制定により、選択的拡大品目として温州みかんの増産を図り、温州みかんを中心とした果樹経営は順調に発展した。しかしながら、昭和40年代には、みかんの価格の暴落、生産調整の実施などにより、既存のミカン品種を中心とした農業を基盤とする地区が存続の岐路に立たされた。そこで、青年農業者達が立ち上がり、柑橘の優良品種導入の取組みを展開し、地区の農業は以前にも増して発展した。
  2.  旧村合併以降、みかんの価格暴落など地区を揺るがす困難に直面したが、むしろ地域の連帯感を高めることとなり、地域活性化の気運が高まった。その雰囲気の中で、当時、上秋津地区の集会所として使用されていた「愛郷会館」の老巧化に伴い、むらづくりの活動拠点となるような新しい多目的集会所の建設が必要との認識が地区で高まり、昭和48年、町内会長、愛郷会長、公民館長などから構成される「建築促進委員会」を設置し、当委員会を中心に集会所建設に向け検討を進めることとした。結局、多目的集会所が完成したのは平成5年であったが、その間の度重なる話し合いは住民間の粋を強め、地区内の連帯感を一層醸成させることとなった。
  3.  昭和63年に高尾山頂上の住民のシンボルともいうべき経塚記念塔が老巧化のため倒壊した。この経塚記念塔の再建の取組みを通じ、地区の活性化を図るため若い有志35人が集い、平成元年「上秋津を考える会」を結成し、地域活性化の活動を開始した。彼らの活動を契機に、むらづくりの気運は一層高まるとともに、多目的集会所建設も促進させることとなり、平成5年に「上秋津農村環境センター」として完成をみることになった。
  4.  農村環境センターの完成に伴い、建築促進委員会が解散されることとなったが、当委員会が地区内の合意形成に果たしてきた成果から、その解散を契機に、地区内では「地区全住民の幅広い合意形成を図りながら一層活発なむらづくり活動を展開するためには全組織を網羅するむらづくり組織が必要」との認識が高まり、上秋津を考える会、愛郷会のメンバーが中心となってむらづくり組織の設立に奔走し、平成6年9月に上秋津地区の全組緩から構成される「秋津野塾」が発足した。
  5.  平成12年〜14年にかけ、秋津野塾と和歌山大学との協同作業で完成させた、秋津野マスタープラン「秋津野未来への挑戦」に基づいて、マスタープラン実践にむけた取組が活発に行われている。特に地域農業の縮小にともなう影響が地域経済にも大きく出始めており、農業活性化への取組が急務の課題であり、地域をあげて農業資源、地域資源をいかした経済活動(直売所事業、グリーンツーリズ事業、農産物加工事業)をおこなう必要がある。 

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