3. みかんづくりの歴史



「常ならぬ 人国山(ひとくにやま)の秋津野(あきつの)の杜若(かきつはた)をし 夢に見しかも」 これは、万葉の歌人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が詠ったといわれている歌です。 平安時代、ここ上秋津は藤原氏の荘園(しょうえん)として治められていた地で、今も当時の経塚などが発掘されています。 上秋津は山が険しく、岩山が多くて、水田が少なく、かつてはほんとうに貧しい地域でした。 江戸時代から明治にかけて、上秋津ではほとんどの人は仕事がなく、「もちい」といって、備長炭や生活物資などを肩でかついで、龍神(りゅうじん)、中辺路(なかへじ)、近露(ちかつゆ)、本宮(ほんぐう)、さらに足を伸ばす人は十津川(とつかわ)まで、山を越えて運んでいたそうですよ。 そして帰りは、山の椎茸や木材をかついで帰ってきたんですって。 明治の終わり頃に、同じ和歌山県の有田(ありだ)でみかんの栽培が始まり、それがとても好調でした。 その頃の農業は米作りが中心でしたが、江戸の終わり頃から「小(こ)みかん」や「九年母(くねんぼ)」といった、お正月飾りに使う、平たくて種の多い「紀州みかん」がつくられるようになりました。 山本周五郎の「蜜柑畑」という短編小説の中にもあるように、江戸末期から上秋津でもみかん栽培に成功して、本格的に取り入れられつつありました。 上秋津では、江戸時代に高木伴七(たかぎはんしち)さんという人が中心になって、数百本の「キンカン」で、共同栽培を始めて大成功します。 しかし、明治22年に大水害がおき、和歌山県下では千数百人が亡くなってしまうという、とても痛ましい災害がありました。 ここ上秋津でも、標高606メートルの高尾山(たかおやま)で六千数百か所でがけ崩れがおき、山の木がすっかりなくなってしまうような事態になりました。 そのため、上秋津はまた貧しい村になってしまいました。 その後、時間をかけて、また少しずつみかんが増えていったのです。 明治41年には、村有林を開放して、みかん畑として開墾するようになりました。 大正になると、上秋津でもみかんの問屋ができて、中国へ「キンカン」の輸出も始めました。 何軒もの問屋が、中国への輸出貿易に携わったそうですよ。 戦後になると、男の人の働き手が減って、食糧難になってしまい、みかんの木を切って国民のために芋をつくれという指示が出たため、みかん栽培をやめて、「護国藷(ごこくいも)」という大きな芋をつくっていた時代がありました。そのため、また上秋津のみかんはだいぶ少なくなってしまった時期もありました。 その後、「山上出荷組合(やまじょうしゅっかくみあい)」と「菱上出荷組合(ひしかみしゅっかくみあい)」という、二つの組合が結成されました。 食糧難の時代でしたので、南部(みなべ)高校の園芸科はエリートコースでした。 当時のみかん農家の人は、みかん作りをしているということで、女の子にとてももてたそうですよ。 みかんがどんどん売れだした時代だったんです。 その頃になると、みかんの御三家といわれた、静岡、愛媛、和歌山に加えて、九州でもみかんを栽培するようになりました。 昭和47年には、温州みかんだけで全国の生産量が365万トンもあったんです。 それが今では、70万トンくらいに減ってしまいました。 当時、上秋津では「紀南晩柑同志会(きなんばんかんどうしかい)」という有志のグループが結成されて、そのメンバーで新しい品種を導入するために、静岡、広島、愛媛、高知、香川まで、穂木(ほぎ)をもらいにいったことがあったそうですよ。 このことが、上秋津に柑橘が70種類も栽培されているルーツになりました。 その後、時代の変革とともに、全国的に10月前半の運動会シーズンに合わせて、「運動会みかん」といわれた「早生温州(わせうんしゅう)」の栽培に転換していきました。 当時の運動会では、栗とともに、みかんがつきものだったんですね。 そのシーズンに間に合うように、和歌山県で生まれた「宮本早生(みやもとわせ)」というみかんは、大ヒットしました。すが、「宮本早生」は酸味が強くて、今ではすっかり、相手にしてもらえなくなってしまいました。 その後、みかん栽培の近代化が進み、農道やスプリンクラーが整えられた時代を迎えます。 その頃は、冬になると山の上の田んぼに氷が厚く張っていて、その上で子供たちが何十人ものってスケートをすべって遊んでいたそうですよ。 今では温暖化が進んでいて、氷が張ることも少なくなっています。 「晩柑(ばんかん)」というのは、お正月が開けてから収穫するみかんのことをいうのですが、「バレンシアオレンジ」、「夏みかん」、「ポンカン」などは寒さに特に弱いので、霜でダメになってしまい、全部捨ててしまっていたという、みかん農家の人たちが大変苦労した時代もあったそうです。 最近ではほとんどそういうことはなく、温暖化が進んできています。 温暖化が進むと、温州みかんが早くできすぎてしまうということもあります。 |